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既婚者の性同一性障害の治療について:破局への道、そして新たなる旅立ち

こんにちわ~、のんびりのん子です!

とうとう、「既婚者の性同一性障害の治療について」の話題も今回で最終回になりました。

今回は、面白くない上にめちゃくちゃ長文です、読まれる方は覚悟してくださいね!


娘が早く嫁に行って幸せな家庭を築いて欲しいと願っていても、いざ嫁に行くとなるとても寂しくなります。

長女が生まれた時の事から、初めて歩き出した時の事、夏も暑い日に顔を真っ黒にして小学校から汗をびっしょりとかいて帰って来て私に「パパ、ただいま~」、可愛いセーラー風を着て通学していた中学時代。

そんな娘の姿が羨ましくてたまらなかった。

幼稚園の頃娘に、「だれが好きなん?大きくなったら誰と結婚するのん?」と尋ねると

「大きくなったら、お父さんと結婚するのん」

「お父さんの何処が好きなん?」と聞くと・・・

「お父さんのメガネを掛けているところ!」って

生まれた頃は、昼・夜が反転してしまっていて、いつも表が明るくなる朝の5時頃まで起きていてその頃からやっと眠り出します。

何度と無く夜中に車に乗せて30分ほどドライブに連れて行ってあげる。

車の中の心地良い揺れで眠りだします。

「やっと、寝たわ!」、そう思い、家の前に車を止めると、そのとたんに起きてしまい、又も泣き出してしまう始末。

「あ~あ、又起きてしもたわ、もう1回ドライブにいくわ」

大学に行っても就職先が無いということで、途中で就職活動を諦めてしまい、大学卒業後、4年生の医療専門学校に通います

そんな娘もいつの間にやら28歳になり嫁に行ってしまいました。

娘の結婚式で私は、始終ずっと泣いたままでした。

喋っても、全く声になりません。

だって、「こんなオカマみたいな私」に子供なんて出来ると想像も出来なかったのですから。

結婚式も終わり、大阪に帰ってきても、今まで同様に夫婦の会話と言うものはありません、

というより、妻は日中、お店でなじみのお客さん達とキャっキャと騒いでいるのでお店が終わってからまで、気分の悪くなる私と話をする気になんてとうていありません。

妻の仕事が終わってからの唯一の楽しみは、夕食時にテレビを見ること。

そんな妻が可愛そうで、当時としては値段も高かった、42型のフルスペックの液晶テレビと地デジレコーダーを買って来て取り付けてあげます。

「たとえ一時でも、嫌な気分を忘れられるかな?」と

私の方は、自分の部屋でパソコンに入れてあるテレビチューナで楽しみます。

そんな事が繰り返される毎日

でも、私は、決して妻を恨んだ事は1度もありません。

それは、ずべて私が蒔いた種で、私に責任があるのだから!

途中で男としての責任を放棄してしまった。

妻から何を言われても、言い返す言葉がありません。

それよりも、今まで30年間も、私の為に尽くしてくれた妻の愛情を裏切った事に懺悔の気もちでいっぱいです。

でも・・・

これ以上、自分を偽って生きて行くなんて私には、到底無理なんです!

妻は、私に言ってくれます。

「それやったら、家の中だけで女の恰好をしていたらいいのと違う?」

「外では、男として以前のように近所付き合いをしたらいいいと思うけど・・・」

そうは言っても、やはり容姿が変わっているし、何よりも話方が女性らしくなっています。

言葉使いやイントネーションにアクセント

今や、男として世間とのお付き合いなんて到底無理な状態です。


◎ 家出決行



娘が嫁に行って2ヶ月ほど経過した頃、又も妻と大喧嘩

私は、嗚咽のような泣き声で1時間ほど神経が高ぶっています。

こんな状態では妻も錯乱してしまう!

そう思いしばらくの間、家を出を事にします。

行き先は不明

カバンに数日分の服や下着を入れて家をでて駅までの30分ほど。近所の方にはわからないように帽子を深く被り顔を見られないように下を向いて歩いていきます。

実はこの時・・・・「自殺」を考えていたのです!

この時、私の脳裏に浮かんだのは、私の父が長男として生まれた私を他の兄弟より特に大事にしてくださり、何処へ行くにも私を連れて行ってくれた事。

父が連れて下さった記憶を頼りにその場所に行きます。

一番よく連れてくださったのは、新世界の「てっちり」のお店

今から50年ほど前には、「てっちり」なんて肝臓にある「テトロトトキシン」という猛毒で死亡した方が多かったので一般的に食べる方が非常に少なかったのです。

その時なんて、「てっさ」も付いて、1人前が130円。雑炊が30円で父がビールを飲んでも今で言う、「ワンコイン」で済むくらい。

いつも行く「串かつ」のお店に入り、子供の時に食べたあの味を思い出しながら、目から涙を溢れそうなのを必死で抑えて下を向いて食べています。

今でこそ、新世界の治安もましになりましたが、昔なんて、浮浪者(御免なさい)のような恰好をした酔っ払いが、新世界を歩いている女性にわざとぶつかってくるのが日常茶飯事の出来事。

女性同士がこの新世界を訪れるなんて、狼のいるところに羊が行くようなものです。

今では、家族連れや女性同士、そしてアベックの方(めちゃ古る~)が沢山来られています。

「ジャンジャン街」や「叩き売り」のお店を覗いたりたりして、この日は近くにあるお泊りのできるレジャー・銭湯に泊まります。

翌朝は、歩いて天王寺へ行きます。

天王寺には、私が若い頃にアマチュア無線をしているクラブの友人が経営しているお店があるのです。

モーニングでも食べようかと思ってお店に入ります。

彼はすでに還暦を過ぎています。

父の後を継いで今は社長として何件のもお店を取り仕切っています。

「阿倍野再開発事業」の役員さんもいていて毎日が忙しい日々

お店に入り、「社長、いてはりますか?」と尋ねると、事務所にいるとの事ですぐに呼んでくれます。

彼は結婚式場も経営していて、若い頃には、無線仲間と結婚式場の送迎バスでスキーに何度も行ったりしていました、

途中で雪の為にタイヤが滑って動けなくなって、みんなでバスを後ろから押したりして・・・

そんな楽しい思い出がいっぱいだった無線仲間との出来事

社長が店に入って来て回りを覗いています。

でも判らないみたい

私が、「○○さん!」と呼ぶと、不思議な顔をして近づいてきます。

「△×○さん?」と私の無縁のコールサインを呼びます。

こんな私でも、一応アマチュア無線としては一番上の免許を取得していて、無線の講習会の講師の資格も持っています。

また、仕事の関係で業務用の無線資格も取得しているので、無線クラブでも一応、一目置かれていました。

当然彼は、私を見て驚きます。

そりゃあびっくりするでしょう!

あれから10年近くお会いしていません。

「こないだ、還暦を迎えてん!、髪の毛も真っ白になってしもて・・・」

私が彼と始めてお会いしたのは、まだ彼が30台の頃

髪の毛も真っ黒で、背も高く、ロサンゼルスに10年ほどいて、日本に帰って来て専務として親の手伝いをしていた頃。

そんな彼も、今やりっぱなお爺ちゃん、30年の月日の早いのとその変化に驚いてしまいます。

それよりも、私のこの変化には彼の方が驚いているはず!

「どうしたん、その恰好!ニューハーフにでもなったん?」と驚きます。

当然彼は、私の妻の事を知っています。

結婚式の披露宴にも参加してもらっていますから。

それに、彼の家は私が以前住んでいた家のほん近所。

仕事で遅くなって、阿倍野で友人達と飲んでいるときでも帰りに家までよく送ってもらっていました。

「奥さん、何も言わへん?」と尋ねてきます。

「そりゃあ、家の中、ガタガタやわ!、実は、今、家出してんねん・・・」と

彼、「そりゃあそうやわなあ、そんな容姿やったら近所もあるかれへんもんなあ~」と

「社長とこのマンション、空いてたら、安く入れてくれへん?」と尋ねると

「今は、マンションも全然もうからんから、潰して、駐車場にしてんねん!」

やっぱり、どこも不景気で苦しい状況。


ところでここのお店には「自衛隊出身」の従業員で長年知っている方が勤めていたのですが、その方の姿が見えないので、

「あれ~、○○君はどうしたん?」と尋ねると・・・

「彼な、ニューハーフになってお店辞めて、別のお店に行ったんやねん!」と

彼にとっては、信頼していた従業員が期待を裏切ってニューハーフになり、まして長年の友人だった私も同じような状態になっている現実に戸惑いを感じているはず。

「また、いつでも遊びに来てな」と言って、いつものように会計の伝票に社長のサインをして下さり、お金を払わずにお店を出ます。

「とりあえずは、社長にも会う事が出来たし・・・」と、今度は「ナンバ」まで地下鉄に乗っていきます。

大阪の繁華街と言えば、梅田、とりわけ新地、そしてナンバ、新世界とあるのですが、食事や遊ぶにしてもやはり新地で遊ぶのが一番高くつきます。

私が子供の頃なんて、父がお給料をもらった時とか、思わぬ収入があったときなんて家族そろって梅田に出てお食事、若しくは、ナンバに出て買い物や食事、そして月末の給料日前になると新世界にでて、動物園で遊んでその後安いお店でお食事というのが一般的な庶民の生活状況でした。

ちなみに、当時の串かつなんて、3本で20円くらいです。

今は、1本100円、物価にすれは、20倍になっています。

瓶ビールの大(633ml)が130円くらいだったと思います。

そんな新世界を後にして難波へ向かいます。

難波といえば、私が中学生の頃に自転車で心斎橋や道頓堀を走り回ったところ。

難波のはずれにあるラブホテルやビジネスホテルなんかも、同級生の親が経営しています。

友達の家に遊びに行くのにと行ったところが何と、「ラブホテル」

中学生がこんなところに入って行くなんて昔の事だから考えられません。

勇気を出して表の入り口から入ろうとしたら裏口から、友達が、「そこ、違う!」と裏口から声を掛けてくれます。

そんな思い出のある難波の繁華街

この難波ではまだ父が独身でいた時に住み込みで働いていたお店がありました。

それは、戦争が終わった昭和22~3年の頃

そんなお店も今は別の店になっています。

その日1日、カラオケを歌ったり、映画を見たりと残された命を存分に楽しんでいます。

今日は、ネット・カフェというところで泊まる予定をしていました。

事前にネットで調べていた難波にある「キャッツ」というお店

初めて泊まるネット・カフェ、一度くらい経験しておきたいと思って、その場所に行ってみると?

そこには、警察管や報道陣が脚立を立てて大変な状態、

お店には、例のブルーシートが掛けられて、道路には縄が張られています。

実はこのお店、昨日お客さんが放火をして沢山の方が亡くなられたとの事。

大阪・難波の個室ビデオ店放火2008年10月1日午前2時55分ごろ、大阪市浪速区の雑居ビル1階の個室ビデオ店「試写室キャッツなんば店」から出火、約37平方メートルを焼失し午前8時18分ごろ鎮火。男性客15人が一酸化炭素中毒や気道熱傷などで死亡、上層階の住民らを含む10人(男性9人、女性1人)が病院に搬送された。大阪府警浪速署捜査本部は1日、火元の個室を使用していた46歳男(無職)を殺人、殺人未遂、現住建造物等放火の容疑で逮捕した。
同年10月14日、意識不明で入院中の男性が死亡し事件の犠牲者は16人になった。

もし、私が昨日、泊まっていれば、この犠牲者の一人に入っていたかも?

でも、とっても不思議な気持ちです。

ここに泊まっていれば、もうこれ以上家族を悲しませる事もなく、当初の目的である自殺という形ではなく、人に惜しまれて亡くなっていけうかも・・・

そんな気持ちが脳裏に横切り、とても不思議な気分。

不幸にも亡くなられた方々に黙祷をささげて、その場を去り、別のネットカフェに行きます。

夜のフリータイムは夜の11時からです。

それまでの間、道頓堀をまたもやうろついて、ツタヤの1階にある本屋で時間をつぶしたりして、ネットカフェに入ります。

初めての経験です。

小さく分けられた部屋は一人横になれるかどうかのような広さ

入り口は、中が隠れるぐらいの小さな扉があるだけ。

入って驚いたのが、なんと沢山の方が利用されているのかと。

中にはシャワー設備はあるが、予約制で20分で100円との事。

私は、その日の疲れもあり、部屋に入るなりそのまま寝てしまい・・・

翌朝の5時には、そこを出なければなりません。

早朝の道頓堀の空気は、何とすがすがしい気分なのでしょうか。

道頓堀の川沿いを30分ほど歩きます。

昔はこの道頓堀沿いに沢山のお店がありました。

牡蠣船がついて、その場で牡蠣のてんぷらを揚げてくれるお店とか。

そんなお店もなくなっていまって子供の頃の面影なんて一つも残っていません。

今でも唯一残っているというのはあの、「グリコ」のネオンサイン

image[6]

確か昔はこの横に、南海電車や阪急電車の宣伝もあったような気がするんですけど?

今日は、何処へ行こうかと悩んだ末に、高校・大学時代に仲の良かった彼氏?と一緒に二人でドライブに行った京都に行きます。

京都は、大学の教育実習の時にも、実習先の受け持ちの高校生を連れて、銀閣寺や哲学の道を歩いた思い出があります。

あの時は、本当に教員になって、子供達に夢を与えたいと思っていたのに・・・

そんな夢も破れて、しがないサラリーマンを続ける事になった私

京都駅まで行き、取り合えす京都を周遊するバスに乗り、京都の名所を回ります。

一緒にいた中年の男性が、個人負担で入場するお寺に、「一緒に入りませんか?」と言ってくださり、入場料を出してもらえてとってもラッキーと思ったり。

「清水の舞台から飛び降りた気持ちで」と言われる清水寺では、下を覗くと怖くて足が震えてしまいます。

だって、私、「高所恐怖症」なんだもん。

「飛び降り自殺」なんて絶対に無理です。

観光も済まし一路、大阪に戻ります。

大阪に到着して頭に横切ったのは、私の実の弟の事

「弟の顔も、もう一度見ておきたいな!」

そう思い、弟に電話を入れます。

「今から、行くわ!」そういって電話を切ります。

この頃には既に心臓が悪く、少し歩くと動悸がしてしまいます。

駅から10分ほどで着くにも係わらず、重い荷物を持っていることもあり1時間以上もかけてやっと家に到着します。

途中で、私が辛そうに歩いている姿を見た自転車に乗っている二十歳くらいの女性が通り過ぎた後、又戻って来れれ

「大丈夫ですか?とてもしんどそうですが!、何でしたら、荷物を自転車に積んであげますし、一緒に行きましょうか!」と

なんと優しいのでしょうか、生きている事で、この人の温かさに喜びを感じるのでした。

彼女の言葉を有難く感じながら、「あと少しで着きますので、いけますから大丈夫ですよ。本当に気を遣って下さりありがとうございます」と丁寧にお礼を言いました。

「今日の若いもんは!」というけど、世の中、捨てたもんじゃあありませんよ!

何度か実家で弟夫婦には会っているのでが、私が女性ホルモンを始めてからは、合う機会も少なくなりました。

家のインターホーンを押すと、「ハーイ」と義理の妹が返事をします。

「私です~」と言って家の中に入っていきます。

義理の妹は、私を見て、「お兄~・・・・」といいながら途中で言葉が詰まってしまいます。

家の奥に行き、テーブルで弟と義理の妹の前に私が座ります。

義理の妹が私に声をかけてきます。

「お兄さん、いったいどうしたんですか?」

「家に入ってきたとき、女の人が来たと思いましたよ」と。

「前から気になっていたんですけど、実家でお会いした時も、痩せてしまってまるで人相が変わったみたいになっていて心配していたんです!」

二人の前で、今までの事を一部始終説明します。

義理の妹は、中学の保健主事をしています。

受け持ちの生徒の中に、いわゆる、「性同一性障害」と言われる、FTMの生徒がいるそうで、制服である、「セーラー服」で登校するのが嫌で、毎日ジャージで登校しているとの事。

「お兄さんにそんな病気があったなんて全然思いもよりませんでしたわ!」と驚きます。

弟は、私が小学校の時ぐらいから、母親の服を着たり、お化粧をしたりしているのを見ているのでうすうす感じていた見たいで特に驚く事はありませんでした。

弟は、「気分を紛らわすのに、ドライブにでも行こうか?」と私の気持ちを察してくれます。

ガレージには、30人乗りのマイクロバスを改造したトヨタのコースターのキャンピングカーがあります。

弟の趣味は、トライアスロン、現地に行くのにホテルに泊まっていると高くつくので、これを作ったとの事。

「燃料も少ないからこれで行こうか」と途中で燃料を入れて、大阪湾の海辺まで走ります。

大型バスの助手席がら見る町並みは、普通車のような風景とは全く違う印象です。

私には2人の弟がいます。

その中でも、私のすぐ下のこの弟と一番仲が良かったのです。

両親が外出したり、母が病気になったりするといつも私が弟達の為にご飯を炊いて、市場に買い物に行っておかずを作って食べさせてあげていました。

海辺に着いて、夕方の暗くなった堤防に二人で方を並べて座ります。

ところが、何か不思議な気持ちなんです!

実の弟なのに、並んで一緒に座っていると弟とは思えなくて、「男性」として思ってしまうのですよ。

「私って、おかしいのかな?」って

「こんな時間が長く続いて欲しい・・・」と思ったり。


弟は、静かにゆっくりと私に言います。

「兄貴がそう思っているのだったら、自分の思っている生き方をしたらええのんと違う?」

「どっち道、遅かれ早かれ、そういう結果になると思うし・・・」

「いつまでも、ダラダラと中途半端な生活をしている方がお互いに辛いのと違うかな?」

そんな、兄弟二人で夕闇の防波堤の上でこれから先、2度と話すことの無いような会話を1時間ほどしていました。

寒くなって来たので、一度家に戻り、弟の家族を連れて、お寿司を食べに行きます。

帰って来てから、義理の妹は、私に「お兄~」といい掛けて、「お姉さん」と言い直しで、こちらにお布団を引いておきますので今日は、ゆっくりとお休みくださいね!と気を遣ってくれます。

本当は、この家出で今までの事をきちんと整理して自殺をしようと思っていました。

それが、残された家族の為に一番言い方法だと信じて。

あと数日、いろんな場所に行って、今までの思い出をたどって行きたかった。

でも、「もういいやあ」と

「これ以上、悪あがきなんてすることないし・・・」


お昼頃まで、弟の家でお世話になり、夕方に近くの駅まで送ってもらいます。

その足で電車に乗り駅に着いて、ゆっくりと家に帰ります。

ちょうど家の前に着くと、妻が店の前に立っており、「お帰りなさい」と。

私は、「ただいま」と言って、すぐさま家の玄関を開けて中に入って自分の部屋に閉じこもります、

既に私の気持ちは決まっていた。

やっぱり離婚するしかない。

これ以上、一緒にいることは、家族に多大な迷惑をかけてしまう。

これから結婚を控えている息子の事。

嫁には行ったけれど、私が原因で離婚に繋がることになれば娘になんと詫びれば良いのか。

妻にしても、私がいないことで、「いわゆる陽気な未亡人」として気楽な生活を送れる」

これ以上、私の事で家族に負担を掛けられない。



妻が店を終え、2階に上がってきたのを見計らって、声を掛けます。

「ちょっと、話があるんやけど?」

その後、「やっぱり、離婚しよう・・・」

それを聞いた妻は

「うん・・・」と一言うなずいたままでした。

離婚なんて本当に簡単な手続き

30年の二人の生活ってなんだったのだろうというくらいに全てを無にしていまいます。

離婚に当たって全ての私名義の資産を妻と子供の名義に変更しました。

家は、銀行の抵当に入っていた金額を全額返済して妻の名義に変更

2台あった車は、妻と息子の名義に変更

店の経営者の名義も妻に変更

厚生年金も半額は妻に支給されるように申請をして

特に家屋の名義変更は、府税である土地・家屋取得税が課かってくるので事前に府税事務所に行き、係長さんに事情を説明して1円の税金もかからぬように確約をとって。

家屋の名義時変更についても、国税に関係いてくるので、贈与で行くか慰謝料で行くかなどと、これも事前に税務署の担当者と相談をして1円の税金もかからぬように処理してもらいました。

あと数年で妻には、私の年金の半分が支給されます。

少しでも生活が楽になるはず。

全ての名義を妻に変更して10月の半ばには、役所に離婚届を提出します。

「なんて、あっけないんだろう!」

「30年間のあの楽しい事や辛い事はいったいなんだったろう?」

結婚や離婚は、「たった紙切れ1枚の事」と言われるけれど、その言葉がしみじみと伝わってきます。

息子の籍も妻の席に入れました。

もう、妻とはなんの関係もない他人同士

離婚の際には、結婚する前の「旧姓」に戻す事ができます。

「どうするの?」と尋ねると

「私は、○○(私の姓)に嫁にきてん、姓は変えるつもりは在りません!」と言ってくれます。

私は、自分の部屋を整理して最低必要な物だけを持って家を出て行きます。

30年の結婚生活は、こんなにも簡単に終わってしまいまいました。

あれから。3度目のお正月が過ぎました。

その間、一度も、元妻や子供達と話をしたり、遭ったことがありません。

それでも、妻と子供達にとっては、私の祖父は今までどおりに、良き「おじいちゃん」と「おばあちゃん」

年に何度か私の実家を訪れて下さり、判れてからの3度のお正月も毎回挨拶に行ってくださっているとの事。

今年のお正月には、弟の孫が来られていて、元妻に、「おばあちゃん、おばあちゃん」と懐いてしまい、元妻のとっても喜んでいたようです。

先日、母が来られた時に、妻の事を尋ねると、「○○ちゃん。すごく元気で顔もふっくらとしていたよ!」と

妻が元気でしていると正直、ほっとします。

彼女や子供達には、とんでもない不幸を背をわしてしまいました。

でもそれを悔やんでも仕方がないことと納得させようとおもっています。

ただ、これ以上、彼女達に私の為に不幸にならないようにと・・・

これからは、お互いに別々の道を歩んで行きます。

彼女には彼女の新しい道を歩んで欲しいし・・・

私も、自分が決めた道が正しかったと別れた妻や子供達に胸を張っていえるようになって・・・

そして、にっこりと笑って再開したい

きっと、いつの日にか

そんな日が、早く来て欲しいと願って・・・

それまで、もっと自分に強くならなければね!

そう決心して、このブログを書く決心をしました。

私と同じように悩む方に少しでも未来に希望が持てるようにと!

そして初めてのブログが ↓ でした。

性別適合手術を受ける決意をしました!


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コメント

Re: 何て言うか胸の奥が熱くなりました;yukiさんへ

> 初めて投稿させてもらいますyukiと言います。
yukiさん、こんにちわ~、コメントありがとうございます!

> 僕ものん子さんと同じく家族持ち(子無し)のバイ気味MtFです。
> ホルモンは既に1年以上になりセカンドオピニオン中です。
> のん子さんの今まで経験されたことが僕にとってまるで鏡のようで見ていて共感と悲しみに包まれました。
そうですよね、既婚者には既婚者の、独身の若い人は、それなりに苦しんでいると思います。
私も結婚して23年間もの間、妻に隠していました。
1年以上もホルモンを接収していると顔や容姿もだいぶ変化して、男としての生活も少し苦しくなってきていそうですね

> 僕も今現在、別れる別れないの狭間にいます。
> カミングアウトから1年、地獄のような日々を過ごしています。
> 家族、友達にはカミングアウトは済ませたものの会社や世間体にはカミングアウトは妻の意向と明日からの生活を考えると中々出来ないでいます。
> と言う事で僕自身とても心病んでいる感じです。
> のん子さんは最終的には別れるご決断をされました。
私は、家族の将来を考えると私が家を出て行くことが一番良い方法だと決断して別れることにしました。
それでも妻は、近所の方には、私がそういう病気だったとか、まして、「離婚した」という事は言っていないようです。

> 僕も別れたくは無いのだけど性適合化手術まで希望する身で妻にはそれを実行するようなら別れる可能性が高いことを言われています。
> 悲しい決断をしなくてはいけなかったのん子さんを見ていてその情景1つ1つが僕とリンクします。
> 胸の奥がとても熱くなるのを感じました。
> 僕の未来、どうなるか想像もつきませんが、それまではのん子さんを見習って家族を守っていこうと思います。
yukiさんの家族を大切にしたいという思い、すごく伝わってきますよ!
それだけに苦渋の決断をしないといけない悲しさ。
問題は、今後夫婦の間で子供が欲しいのかも大きな要因になりますね。
性転換手術を勧める訳ではありませんが、性同一性障害ならばいずれ、この手術を受けて晴れて女になりたいという思いがより強く募ってくると思います。

> ありがとうございました。
> そして頑張ってください。
離婚(法律的には、「結婚の解消」もしくは、「結婚の中止」というらしいですね)は最悪のケースとして、奥様とうまくお話がつくように望んでいます。
でも・・・うちの妻も言ってました!
「私は、男の人と結婚してん!」と

yukiさん、くじけないでね!
そして自分だけが苦しいと思わないで!
みんな、自分と同じように悩み、苦しみ、そして迷いながら歩いているんだと!

取り留めてのない話でもうし訳けありませんでした。

何て言うか胸の奥が熱くなりました

初めて投稿させてもらいますyukiと言います。

僕ものん子さんと同じく家族持ち(子無し)のバイ気味MtFです。
ホルモンは既に1年以上になりセカンドオピニオン中です。
のん子さんの今まで経験されたことが僕にとってまるで鏡のようで見ていて共感と悲しみに包まれました。

僕も今現在、別れる別れないの狭間にいます。
カミングアウトから1年、地獄のような日々を過ごしています。
家族、友達にはカミングアウトは済ませたものの会社や世間体にはカミングアウトは妻の意向と明日からの生活を考えると中々出来ないでいます。
と言う事で僕自身とても心病んでいる感じです。

のん子さんは最終的には別れるご決断をされました。
ごめんなさい。正直、この場面で涙が出ました。
僕も別れたくは無いのだけど性適合化手術まで希望する身で妻にはそれを実行するようなら別れる可能性が高いことを言われています。
悲しい決断をしなくてはいけなかったのん子さんを見ていてその情景1つ1つが僕とリンクします。
胸の奥がとても熱くなるのを感じました。

僕の未来、どうなるか想像もつきませんが、それまではのん子さんを見習って家族を守っていこうと思います。

ありがとうございました。
そして頑張ってください。

Re: ありがとうございます:シークレットさんへ

こんにちわ~
大変ご丁寧なコメント、本当に有難く感じています。
大抵、こういった関係のブログの内容といえば、ニューハーフさんや女装関係の内容が多いのも事実です。
そう言った方は大抵は20代や30代。
ましてや16才くらいからホルモンを始めると完璧な女性になってしまいます。
そう言った若い方にはそれなりに参考になる内容であると思います。

> ほんとうによく これほどまで書いて頂けました。
でも、私達のようにあと数年で還暦を迎えるような介護保険を待つばかりの年寄りにも性への違和感は多少ならず持っています。
私も、若い頃は、「男として生まれてきたからには、しっかりと男らしくしなければ!」と自分に納得がいかない状態で無理やり突き進んできました。
でもこの歳になって、今までの行き方に疑問を持ち出し、今後の生き方としてせめて死ぬ時は女性としてこの世を去りたいと思う気持ちが日々強くなってきました。

ブログでも書きしましたが、還暦を迎えたMTFの友人が居られます。
7年ほど前に睾丸の摘出をして後はSRSだけなのですが年齢も年齢なので「膣なし」でSRSを受けたいそうなんですが、奥さんの反対でいまだに出来なくて困っています。
奥さんから、「SRSするなら離婚する」そういわれているとの事です。
孫も4人ほどいるのですが、胸がFカップまで大きくなっているので孫をお風呂に入れさせてくれないそうです。
妻を悲しませたくないために、SRSを我慢する事も素晴らしいことだと思います。

> これからも、よろしくお願い致します。
いえいえ、こちらこそよろしくお願いいたします。
私は、SRSをしたのは53歳の歳、まだまだ自分では女盛り?と思っています。
SEXができるように膣も作って頂きました。
もし、彼氏ができたら・・・というより、これ、まじのお話なのですが・・・
女性というのは、SEXをする事で、体も若く、精神的にも若くなるそうです。

憧れの女性になったので、たとえ一度でも女性としてSEXを経験したいと思い膣を作ってもらいました。
愛する男性に喜んでもらえたら嬉しい限りです。
やはり、私の性格どうも受身のようです。
これから先、色々とご夫婦との問題もあるかと思いますが、焦らずにお互いの気持ちを尊重して話あって行って下さいね。
ご夫婦の御幸せを祈っていますから・・・

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oトッキーo さんへ

こちらこそ、こんばんは~

> 後ろで流してる曲か文章か分かりませんが
> 何か涙が出てきました
私が知っている歌なんて昭和46年頃から昭和53年くらいのわずか数年の青春時代の歌しか知りません。
今の歌謡曲には全くついていけません。
この年齢になって、私の若い頃の歌の歌詞の素晴らしさに関心しています、
この歌も今から40年近く前の歌ではないでしょうか?
若い人には全くわからないのも仕方がないでしょうね。

> 30年間は無駄じゃないと思います
> きっと奥さんも子供さん達も幸せだったと思います
そう言って頂けると心が和みます、
この30年間で思った事は、人を愛する事、そして決して他人を恨まない事です。
今でも、別れた妻が大好きです。それは女とか男とかではなく、人としてです、
素晴らしい人を出会えた事を幸せに思っています。

> 最終的には無くなった様に見えますが
> きっと残ってると思います
私の心の中には、死ぬまであの時の楽しかった思い出が昨日のことのように思い出されます。

> 家族みんなが幸せだったらいいですね!
> いつか会える日までに自分を磨いちゃいましょう!
そうですね、いつも思うのは、みんなが健康でいてくれることです。
なんとか、他人からは後ろ指だけは刺されないように自分の行動に責任を持ってこれからも生きて生きたいと思っています。
いつもコメント、ありがとうね!
トッキーさんも自分の決めた道を最後まで突き進んでいってくださいね。

No title

こんばんは

後ろで流してる曲か文章か分かりませんが
何か涙が出てきました

30年間は無駄じゃないと思います
きっと奥さんも子供さん達も幸せだったと思います

最終的には無くなった様に見えますが
きっと残ってると思います

家族みんなが幸せだったらいいですね!
いつか会える日までに自分を磨いちゃいましょう!

それでわ
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Author:のんびりのん子
やっと、女になれました。
いい女になるのだから・・・・・・

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