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思い出が多すぎて!

こんばんわ、のんびりのん子です!
毎日、泣いています・・・・

実は、私の大切な人が亡くなったのです・・・・・・・

この文字を打っただけで又涙がボロボロと、、、、、、、

昨年の11月11日、死亡病名は「肺炎」

死亡診断書にはこのように書かれていますが、いわゆる「誤嚥肺炎」

入院したのは同年の9月25日

当日は定期の外来診察日で、1ケ月ほど前から便があまりでなくて、常に胃が張った状態。
食事もあまり取れなくて、無理に食べてもほとんど戻してしまう状態が続いていたので、いつもなら介護ヘルパーさんが病院に連れて行ってもらっているのをその日は私がついてきて欲しいとのことで一緒に行くことに。

旦那様は耳が遠いので先生の言っていることが理解しにくいのです。

先生の診察が始まるなり、「すぐに入院するように」とのことで直ちに入院。

病名は「腸閉塞」

きちんと食事が取れない状態が続いたので栄養状態も非常に悪くなっていました。

私が食事を作っても、一口食べると、「もう、入らへん!」と言って食べなかったのです。

実は、数か月前の5月にヘルニア、いわゆる「脱腸」になり手術をして2週間ほど入院したのです。

退院して抜糸をしてからも手術の跡の部分が痛い、痛いと言っていたんです。

手術をしたのは、病院の院長。
私が院長にその旨を言ったのですが、手術後の経過は順調だとのこと。

そういった日々が続いての10月25日の入院。

入院する数日前によく言っていた言葉が、「お腹いっぱい食べたい!」とか

「ラーメン、大盛りで!!!」と冗談を言ってたりして・・・

入院するなり、まずは栄養状態をよくするために、点滴をするも追いつかないために、中心中心静脈栄養でハイカロリーの点滴や血液製剤を入れて行きます。

5~6年前から、「脊柱管狭窄症」で介護認定を受けていました。

若いころに胃潰瘍で胃も半分以上切除しており、私が知り合う数か月前には股関節に人口関節の手術を受けていました。

人工関節の手術後のリハビリもきちんとできていないようで、歩くのがとてもつらいようでした。

そういった事もあって、どこへ行くのも一緒の二人でした。



親不孝者の私、離婚して家を飛び出しているために、実家からも絶縁状態の為、父の死を知ったのも、死んでから2年もたってからの事、

父は三男のため生前に自分の墓を建てていたのですが、その墓参りにも旦那さんが一緒に行ってくれていました。

事あるたびに、「墓参り行こうか!!!」と言って二人で自転車に乗って一緒に行ってくれました。

ある日の事、いつものようにお墓をきれいにしようと、お水を掛けて墓石を拭こうと後ろを見ると?

赤く書いてある建立者である父の名前が白に変わっている。

こわごわ横を見るとそこには、父の名前が・・・・

もうその時は驚きと悲しみがこみ上げて来ましたが、涙は出ませんでした。

「私って、本当に親不孝もの!」
「父の死に目にも会えなかった」

って、母も、兄弟もそのことは一切教えてもらえなかった。
でも、一切恨んだりしていませんでした。

そう言えば、父が亡くなった数日後にある用事があって、別れた妻に電話を入れたことがあったのですがその時に
元妻が「大変なことがあったんよ!、まあ、あんたには関係ないけど・・・」って言っていた意味がその時に理解することができました。

後で母に聞いた話ですが、父が脳溢血で10か月ほど意識不明で入院して、その間ずっと、元妻や東京に嫁いだ娘や息子が何度も見舞いに来てくれたそうです。

息子は作業療法士なので、見舞いに行くたびに1時間ほど父にマッサージをしてあげたそうです。

父の死を知ってから、すぐさま亡き父を祀る為に仏具を買ってきました。

旦那様は毎日、お花の水変えや、夏なら3~4日毎に新しいお花を買ってきて祀ってくれるのです。

そんな心優しい旦那様を亡き父にしてあげられなかった親孝行のつもりで、父のように旦那様を慕っていました。

大事な、大事な旦那様が入院して・・・・

それまでにも一緒になってから何度も入院していました。
夜中に救急車で運ばれたことも何度と。

そのたびに、「今度入院したら最後やで!」と冗談を言っていた私。
それが、現実となってしまうなんて。


栄養状態が悪いので、手術も出来ず、
というか、特に手術をしなくても、鼻からカテーテルを入れて胃・腸から内圧で内容物を排出させると、腸内の圧力が下がって閉塞した部分が改善されるそうなんです。

なかなか下がらないので、おしりから大腸まで管を通して圧を下げることも何度としました。

しかしこれをするたびに、40度からの高熱を発し、体中震えをお越し、強烈な腰の痛みを発するのです。

その都度、電気毛布で体を温め、1時間程、腰の部分をマッサージしてあげるんです。

「痛いなあ、痛いなあ・・・辛抱しててな!もうちょっとしたら楽になるからな・・・」そう言いながら。

鼻からカテーテルを通している為入院してから一切食事を摂っていません。

入院してから1か月を過ぎた11月の始め

やっと、カテーテルも取れることが出来、先生からは「おかゆ」から食べれるとのこと。

カテーテルが取れたその夜、入院してから初めての食事

私は、「やっと取れたなあ、長かったけど良かったわ」

「あと1週間ほど様子を見て退院できね」と言って喜んでいました。

その時は、そう信じて、楽観視していました・・・・

でも、おかゆを食べても全部戻してしまう始末

腸閉塞の状態は良くなっていない気配。

カテーテルを外してからは、何度となく吐いています。

先生がもう一度カテーテルを入れたいというのですが、胃を切除しているために、内視鏡カメラを入れながら胃の内部を見ながらでないとカテーテルが入れないし、そのために30分以上もかかるのがつらいために本人は拒否をします。

最後には、胃までのカテーテルを入れたのですが、それでも、内圧が下がらずに、何度となく吐いてしまいます。

きっとその時に吐いたのが肺に入ってしまって誤飲肺炎を起こしてしまったのだと私は思っています。

11月8日の午前2時ごろ、旦那さんから突然電話がありました。

「何してんねん!はようきてんか、今日は遅いやんか!」と

私は、「何言うてんの、今何時やと思てるの!夜中の2時やで、明日早よいくから待っていて」

電話をもらったこともあり朝の7時ごろに病院に行き、警備員さんに扉を開けてもらい病室に行きます。

病室に行くと、旦那さんがとても苦しそうにしています。

頭を触って見るとすごく熱い気がする。
呼吸もとても速い。

すぐに看護婦を呼んで、医師も来てもらい、とりあえず鼻から酸素を送ることに。

翌日の9日になっても一向に良くならない。

先生からは、「人工呼吸器を入れたいのですが・・・」というが、本人もそれを拒否するし私も・・・

とりあえずをは返事をしなくてその日が過ぎ、翌日病室に行くと、旦那さんが私の顔を見てまるで「バイバイ」をするように手を振るのです。

翌日の10日もお昼に見舞いに行き、「また夕方来るわ!」と言って家に帰るなり主治医から電話があり、人工呼吸器をつけないと危険な状態とのこと。

電話で、「入れてあげて下さい」と言って電話を切るなり病院へ自転車で走っていきます。

病院へ着くと、すでに人工呼吸器が取り付けられており、一般病室から、ナースセンターの横の部屋に移動するとのことでベッドの移動をしようとしています。

私は、荷物を片づけて、しばら様子を見ていた後、不要な荷物を家に持って帰ります。

翌11日、早朝と昼前の2回、様子を見に病室へ行きます。

今でも忘れない・・・・

昼前に行ったとき、旦那様の目からは涙が・・・

そしてお昼の1時過ぎに一旦自宅に帰ると突然病院から電話が!
「直ぐに、来てください」

先生からは、「電話を入れた時には、もう・・・」

そして改めて、時計を見て

「午後1時59分、死亡確認、お亡くなりになりました・・・」


「嘘やん、元気になって、家に帰れると思とったんやん!!!」



あれから、もう4か月も経とうとしますが、病院での出来事、そしてたった3年3ヶ月の短い間だったけれども旦那様と暮らした日々の事がまるで昨日のことのように思い出して仕方がありません。

もっと優しくしてあげれば良かった・・・と後悔する思いで涙が出てしまう日々が続いています。

「死」というのをあまり感じなかったのですがこれ以降すごく感じてしまうのです。

そして思う、私も遠くない日に・・・・・

私が一番後悔することは、「死ぬ前に、お腹一杯、好きなものを食べさせてあげたかったって事」

私の愛する旦那様、

「阿弥陀さんに可愛がってもらいや・・・」

合掌





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肩の荷がおりました

おはようございます、のんびりのん子です!

とうとう4月になってしまいましたね。

先月の3月31日は、医療従事者、いわゆる、医師・歯科医師・検査技師・放射線技師・薬剤師・理学療法士などの国家試験の合格者発表日でした。

私の息子は、今回、作業療法士を受験しています。

娘は5年前に眼科の検査技師である、「視能訓練士」に合格しました。

2年ほど働いてその後結婚して東京で専業主婦をしているので一線からは退いています。

今から10年ほど前になりますが、娘と息子は2つ違いのとても仲のよい姉弟です。

二人とも近所の同じ府立高校に通いました。

お姉ちゃんは物静かな女の子

そして弟というと、いつも友達同士で練り歩いているちょっとした暴れん坊。

学校ではいつも弟が先生に呼ばれて注意されているので、できるだけ姉弟と知られないようにしてます。

姉は高校を卒業して、近所の女子短大の秘書科に入学します。

今もそうですが、10年ほど前にも、女子短大の就職率って最低です。

就職相談で短大に私が行ったんですが・・・

来られている父兄は、私を除いて全てお母さんばかり。

というのも、妻が自宅で喫茶店をしているので私が変わりに出ることになったのです。

2年生の9月の時で、就職内定者は全体の3割にも満たないのです。

娘の希望は、プログラムを作成する会社で働きたかったそうです。

しかし、会社としては即実践力のある人を求めているため、どうしても就職しようと思えば、それに関する専門学校にまた2年ほど通わなければなりません。

たとえそこを出たからと言って確実に就職できるとは限りません。

夏休みを過ぎる頃までは、毎日と言っていいほど就職活動をしていた娘が秋になってぷっつりと就職活動をあきらめてしまいました。

「もうしんどいわ~」って

私にしてみれば、なんとか短大まで卒業して、やっと学費も要らなくなると喜んでいたのですが・・・

これが大きな間違いの始まりでした。

なんと、就職をあきらめて、次に決めたことは、医療系の専門学校に通いたいというのです。

そして決めたのが、「視脳訓練士」という眼科検査技師の先生になる学校

そう、娘も小さい頃から視力が悪くて勉強に困っていました。

小学生の頃、どうも学校の授業についていきづらく、少し成績も悪かったのです。

どうしてかな?と思っていると、視力が悪く先生の書いた黒板の文字が見えにくく、いつもノートに写すのに苦労して先生の話を聞けなかったそうなんです。

自分も経験しており、「目の不自由な方の不安な気持ちを少しでも和らげてあげたい!」という動機で4年生の視脳訓練士の資格がもらえる専門学校に入学しました。

そしてちょうどその時、息子も府立高校3年生

大学若しくは専門学校を何処に決めるか?で迷って居た時

「お姉ちゃんが大学行っても就職先がなったから、僕もお姉ちゃんと同じ医療系の専門学校に行くわ」と

姉と同じ専門学校に通います。

姉は4年生の視脳訓練士学科、弟は3年生の介護福祉学科です。

姉は、学校では弟が同じ学校に通っていること同級生に知られるのが恥ずかしくてずっと隠していたそうです。

この就職難の時代ですが、医療系の学校については、一応、卒業後の就職口に苦労するという心配はありません。

でも、これが地獄の始まりです。

ご想像の通り、学費です。

医療系の学費って、マジ、半端じゃあないのです。

1年間で最低、160万円は必要です。

娘の4年間と息子の3年間を合わせると7年間分

160万円×7年間で最低1200万円以上

そして、学校に通いだして、二人とも2年生になったある夏の日のこと

娘は22歳、息子は20歳になっています。

二人の子供が成人したことにホットしたのか・・・


私の長年の思いを子供たちに伝えます。


「実は、お父さん、性同一性障害という障害で病院に通っているねん」

「病院で女性ホルモンをもらって飲んでいるし、いずれ女性になりたいと思っている」

「あんたら、お父さんの事、軽蔑する?」


そう尋ねると

姉は涙を流しずっと沈黙を保っていた口からポツリと喋りだします。

「お父さんは、どうなっても、私のお父さんやから、これからもずっと私のお父さんと思っている」と。

弟は、「僕かって、医療系の学校に行ってるんや!そのくらいの事は学校で勉強している、そんな人を変な目で見たりはせえへん!」

「世の中には、もっと重い障害で苦しんでいる人が沢山いるんや」

「お父さんはお父さんらしくこれからも生きて行ったらええやん!」

と、私が子供達にカミングアウトした時の様子だったのですが、のちにこれが、私をより女性化に拍車を掛ける結果になってしまったのです。

私の誕生日には、娘から可愛いネックレスをプレゼントされたり・・・

それを見た妻なんて、「あの子、何考えているんや~」と呆れてしまったり。

妻は、ずっと、私の「GIDの障害を治してあげる」と日夜努力しています。

それに反して、私は、どんどんと女性らしくするためにお化粧をしたり、女性物の下着や洋服を堂々と購入します。

毎日変化していく私の容姿

仕舞いには、お店に来られるお客さんから、私が妻の娘と間違われるような状態になってしまいます。

妻からは、「あんた、絶対にお客さんや近所の方が居られるときには、出歩かんといてや!」と厳戒令を引かれてしまいます。

そう行った日々が続くうちに娘が卒業し、名古屋で一人暮らしをしながら眼科のある病院に勤めます。

その1年前には3年制の息子が卒業し、介護福祉士として近所の総合病院の脳神経科で働いていました。

でも2年ほど勤めた頃に、突然病院を退職

「介護福祉士をしていてもこの先が見えている」と将来に不安を感じたのです。

ちょうど、仕事中腰を痛め、30代になった時の体力や収入面、そして社会的地位なども含めて不安になったそうです。

そして決めた決断が、「作業療法士になる」

働いていた部署が、「脳神経科」だったので、体に障害を持っている方のお世話をしていました。

それで、その方たちのリハビリになんとか答えたいと思ったようです。


と、こう言えばすごく聞こえは言いのですが、本音は?

介護福祉士の仕事と言えば、あくまでも患者さま主体の仕事です。

重いからだを支えたり、シーツや患者様の下の世話や本当に体力の限界のお仕事。

いつまでも続く訳がありません。

ところが、地学療法士や作業療法士というのは、自分が立てたリハビリ計画に沿って作業をしますのであくまでも主導権は、作業療法士にあります。

ということは、自分のペースである程度仕事を進めていくことが出来る!

我ながら、自分の息子、ずるがしこいというか、関心してしまいます。

そして、又も4年生の医療系に専門学校に通いだします。

ここでも学費は、1年間で約160万円、これが4年間ですから卒業までに700万円近くかかってしまいます。

息子が再度専門学校に通い出した頃は、ちょうど私が勤めていた病院を辞めた時で、もう家の中は火の車状態

息子が3年生になった時に妻と離婚して子供達とも離れ離れに。

私一人が家を出て、残った家には、妻と息子が二人で細々と生活をしています。

そして、辛かった2年間ほどの母子家庭の生活

別れた妻や息子とは、普段連絡を取り合う事なんて一切ありませんし、今回の国家試験の結果を尋ねるなんて到底できません。

先月の半ばに、息子の国家試験の合格を願って、天満宮にお願いに行って来て、家の壁に貼ってある御札に毎日合格祈願を祈っていました。

気になっていた息子の国家試験の結果

それが、先ほど母から息子から電話があったとの事です。

「国家試験に合格して、昨日から近所の脳神経科の病院に勤めているよ」って

その連絡を聞いて思わず涙が出てしまいました。


長かったわ~・・・・・・・


息子も既に28歳になっています。

高校の時から付き合っていた彼女がいていつでも二人でいた息子

きっと結婚すると思っていたのに・・・

それが、作業療法士の学校に行くことになり、原因はわからないけれど、ぷっつりと会わなくなってしまいました。

これで学校も卒業し、国家試験も合格、そして望みの仕事にも就くことが出来て・・・

あとは息子が結婚して幸せな家庭を築いてくれることを願う私

息子は母思いの子供なので、別れた妻と同居してくれそうです。

私が今望んでいるのは、息子が結婚して息子の妻と別れた妻が二人仲良く喫茶店を営む姿

私のたった一つの夢です。

今日は、昼から母とお墓参りに言って、この報告をしてきます。

それじゃあぼちぼちと用意しますね!

母のストレス発散法?

こんにちわ~、のんびりのん子です!

昨日の土曜日の事です。

金曜日に母と墓参りと買い物に行き、久しぶりに歩いたので、腰が痛くて・・・

4時ごろに家に着くなりベッドに潜り込みそのまま熟睡

目が覚めたのは、夜中の12時過ぎ

母からスーパーで買ってもらた握り寿司をペロッと食べて又もやベッドへ

次に目が覚めたのが土曜日の朝の5時ごろ

毎日飲む1週間分のお薬をピルケース入れます。

これだけでも30分かかってしまいます。

その後、机の前でボーっと座っているだけなのですが、朝の時間って、特に何もしていないのにすぐに時間がが経ってしまいます。

気がつくと朝の9時を過ぎています。

昨日はお風呂も入らず寝てしまったので朝からお風呂に入ってリラックス気分。

無性にたこ焼きが食べたかったので、昨日のスーパーで「たこ」を買っていたのでタコを切りたこ焼きの準備。

お昼の11時ごろからたこ焼きを焼いて食べています。

家でたこ焼きを焼いて食べる、なんてことは家族の皆とわいわいと皆でたこ焼きをひっくり返しながら食べるのが楽しいのであって、「一人たこ焼き」なんて全く楽しくはありません。

逆に、虚しいだけ・・・

とりあえず40個ほど焼き、10個ほど食べて、残りは冷凍して、次回は「明石焼き」にして食べます。

これが、私のたこ焼きの食べ方。

ラップに包んで冷凍庫に入れ、机の前でネットをしていると携帯に電話が鳴ります。

見ると母からの電話です。

「あれ?連続で電話が入るって、母か父に何かあったのかな?」とか

「昨日、母とお話していた事で気になることがあるのかな?」と想像しています。

私の母、会ってお話している時は、特に言わなかったことですがその後電話で

「お母ちゃん、やっぱり、あれはあかんと思うわ!」とか注意したりするんです。

電話に出ると、またもいつものように

「今、何してるのん?」

私、「昨日、昨日家に帰ってからすぐに寝てしまってお風呂にも入っていないので、朝から風呂に入って、机の前でボーとしているところ」

心配して、「何かあったん?」

そう答えると

「ううん、何もないけど、あれからどうしてるかな?と思って!」

「あんまり時間ないんやけど、私が働いていたときにいつも行っていた大丸の中にある喫茶店でお茶でもせえへん?」

とお茶のお誘いです。

私の父も母も長い間家で商売をしていたのですが、不況のあおりで家業もあまり思わしくなく、私が病院に勤め管理職になった頃に、父を紹介して親子で病院に勤めることになりました。

その時に母もパートで表で働くことになりました。

そして母は70歳近くなるまでの20年間、心斎橋にある飲食店で働き続けます。

母の性格ですから、そこの経営者や従業員から絶大な信頼感を得ており、従業員同士のトラブルなどがあると母に相談してくるそうです。

そこでの母は、従業員から、「お母さん」と呼ばれていたそうです。

そして仕事が終わってからは毎日、大丸の4階にある喫茶店でゆっくりとティータイムを楽しんで帰ってくるそうです。

時には、他の従業員や愚痴を聞いたり、仲のいい職場友達と雑談に花を咲かせたり!!!

70近くのお婆さんになっても、そのときの母は羨ましいほど輝いていました。

でもある日、心筋梗塞で病院に担ぎ込まれ、なんとか一命を取りとめ、心臓に爆弾を抱えた状態。

それから5年ほどしてから再度再発しこの時は先生から、「覚悟して下さい!」と言われたのですが、母の強靭な生命力で死の世界から脱出して今に至っています。

そんな母ですから、普段家でじっとしていることが嫌いな性格

父は隠居のような状態ですから、毎日好きな事をして家でぶらぶらとしています。

私が母の携帯に電話をすると

「誰からの電話や!」とか、根堀・葉堀聞いてきます。

そして、些細なことでもいつまでも母に愚痴を言ってくるんで家にいる事が苦痛な毎日。

そんな母の心の安らぎになるのが今の私の存在だそうです。

長い間息子だった長男?が結婚して二人の子供に恵まれ幸せな結婚生活を過ごしていたのにもかかわらず、離婚して挙句の果て、性転換手術をして体を女性にして、戸籍まで変更し長男から長女になった息子の私。

父親からは、絶縁をされ一人寂しく生活をしていると思うと、私のことが心配で心配でたまらないそうです。

いつも言う母の言葉

「うちが、生んだ子やから、お母ちゃんに責任があるんや!」

「もっと早く気が付いていたらあんたにこんなにつらい目にあわさんと済んだのに!」

でも私のほうが、逆に母に多大な迷惑を掛けたと申し訳なく思っています。

でも今になって私は母のとっても良い話相手というより、愚痴のはけ口になっています。

昨日も父に対する愚痴を私に、言う言う!

喋りだしたら機関銃のように話続けます。

その間、私はずっと聞いています。

喫茶店を出た後、母と二人で、トイレに行きます。

当然、女子トイレって混んでいるので母と二人、その列に並んで順番を待っています。

私の長い間の夢は、母と二人で温泉でゆっくりと過ごして、お風呂で母の背中を洗ってあげる事。

でも母も心臓が悪いので到底、温泉に行くようなことは出来ません。

こんな私でも、母の生きる希望になっていると思うと?

私も、もう少しだけ生きることに頑張らなくちゃあ!!!と


母は、「私、あと10年ほど生きればええとこやわ」が口癖

私のほうは、あと3年ほどの寿命と思っています。

残りの3年間、きっちりと母の娘として親孝行して行きたいと思っています。

お母さん、いつまでも元気でいてね!!!


お墓参り

おはよう~ございます、のんびりのん子です!

昨日も母とお墓参りでした。

朝の9時ごろ、母からの電話です。

いつものように、「特に用事がないんやけど・・・」

母の電話はこの言葉から始まります。

「あんたの元気な声が聞きたかってん!」

「今日は何か予定あるのん?」

こんな私でも予定があればすごく充実した毎日を送れるのだけど、予定なんて1年先まで何にもありませ~ん。

3年先くらいなら、お墓から手招きしているけれど・・・


「お母さん、用事あるんやったらいつでも私、付いて行くよ」

ということで、「ほんなら、又墓参り、一緒に行ってくれる?」

地下鉄なんば駅の千日前線のホームで待ち合わせをします。

駅のホームに着くなり母に電話をすると、母もホームに到着しているとの事。

すぐに母の顔が見えて一緒に地下鉄に乗り、お墓に行く前に先に天王寺にあるお花屋さんによりお花を買っていきます。

母の身長は154センチ、そして私は174センチと20センチからの身長差。

電車の中でもお墓に到着するまでの間も、親子でぺちゃくちゃとたわいもない話をしているこの二人

他人から見ればどのように映っているのでしょか?

顔を見ればすぐに親子とわかる二人

周りの人からは、「オカマさんが、母親と一緒に歩いている!」

と言った好奇な目で見られることもなく、誰一人として振り向いたりこちらを見てコソコソ話をしている様子も感じられない。

女として体を変え戸籍も変更して男から女としての生活をしているのだけど?

なにか物足りないと言うか、寂しいのが本音。

電車を待っているときも、一人の女子高生が道を尋ねてきました。

母はとてもおしゃべり好きなので、その高校生に親切に説明をしています。

とても可愛くて素直な16歳

私にも、「おばさん、どうもありがとう!」とお礼を言ってきます。

時代が違えば?と言えばそれで終わってしまいますが、私もあのように輝いてる高校生活を過ごしたかった。

家に帰ってきてからもしばらくの間、あの高校生の笑顔と自分がダブってしまって・・・

たとえ1週間でも良い

あのころに戻ってやり直したい。

それで命が尽きても本望!!!

ちょっぴり悲しい1日でした。

母からのお茶の誘い

こんばんわ~、のんびりのん子です!

今日も病院でのボランティア

お昼の昼食が済んで、2時30分くらいに携帯電話がなります。

電話を取ると、

「お母ちゃんや!、元気でやってるか?」って

つい3・4日前に一緒に墓参りに行ったばかりやん!

「今、なにやってんのん?」と尋ねてきます。

「うん、病院でボランティアしてるねん!」

うちのお母さんのいつもの口癖

「別に用事はないねん。元気にしてるか声を聞きたかったから・・・・」

母からの電話があるときは、ほぼ110%、私に会いたいから電話を入れてくるのです。

先日のお墓参りの時も前の日の昼間に、5回以上も母からの留守電が入っていたのです。

夜の11頃に母からの電話に気がついてこちらから電話を入れると?

「うん、別に用事って無いねんけど・・・・」

母の言いたい事は、もうわかっているから

「お母さん、明日、お墓参りに行こうよ!」

そう、私が言うと、「一緒に行ってくれるか?、お母ちゃん助かるわ!」

次の日に、約束通りにお墓参りに

まずは、四天王寺さんへお参り

ここには、私が12歳の時に、母が子宮外妊娠であと数分手術が遅かったら母が無くなっていた時の、お腹で無くなっていた女の子の水子供養をしています。

水子さんのお参りの後は、私の息子の来年の国家試験の合格祈願を祈ってロウソクとのぼりを立ててもらいます。

母は、毎月この四天王寺さんへ参りに行っているので、係りの女性とは大のお友達のようになっています。

今日は、母と一緒に中に入って、ロウソクに「祈 国家試験合格・・・・・・」と私がマジックで書いています。

その間に、うちの母、その係りの女性といつものようにお話をしています。

その話を横で聞いていると?

「この子が、こんなになってしもうて・・・・・」

うちの母、こんなとんでもない話をしてるんですよ

「子のこの人生やから、それでええんやけど、私、全然気がつかへんかってん!」

「今年、タイで手術までして、体も、戸籍も全て女性になってんですよ!」

「この子、小さい頃から、とっても優しい子供でしてん」

係りの女性も、「素敵なお嬢さんですやん、とっても綺麗だし・・・」って

うちの母、何処で私の事を言いふらしているのか計り知れません。

まるで、テレビに出ている、はるな愛ちゃんお母さんみたい

ロウソクに書いているときに二人の会話を聞いているとしきりに母、私の事を以前の男の名前でずっと言っている。

思い余って、「お母さん、今はもう名前変わったやん!」そういうと係りの女性

「そうやねぇ~、○○さんになったよね!」

もう~、うちの母、こんな事まで話をしている。

そんな事があってからの今日

母が、「コーヒーでも一緒に飲みたいから、今から難波まで来れる?」って!

お母さん、いつものように、もうバス停で難波行きのバスをまってるやん。

慌てて服を着替えて自転車でJRの難波駅に向かいます。

私が着くと同時くらいに母の乗っているバスも到着します。

二人で喫茶店に入って、ぺちゃくちゃとお話を始めます。

横から見ると、きっと仲の良い母と娘のように見えたと思います。



母の今の一番の楽しみは、私とお話をすることです。

そして私が唯一親孝行として出来るのは、母とお会いして、いろんな話や子供の時の思い出話を語りあう事。

私には今、それしかありません。

ふと気がついたのが、母の誕生日が昨日の28日だった事

母が生まれたのは12月の28日で76歳を迎えたところ。

今は年齢の数え方は満年齢で数えますが昔は数えで言ってました。

12月の28日生まれだと4日もすると1歳になってしまうので、それでは可哀想だと、親が役所への届けを1月の5日にしているとの事。

誕生日が2つもあるとややこしくて仕方がありません。

そういう私も、男として生まれた誕生日と、女になる手術をした5月11日の2つの誕生日がありますけど・・・

二人でぺちゃくちゃとお話をしていて時計を見るともう2時間近く喫茶店にいます。

普通、母親と息子が仲良く2時間からお話をするなんてまあないでしょうね!

最近感じるのですが、母が私をきちんと女性として見てもらえているように思えます。

「お母さん、私、男の人と結婚も出来るんよ!」と言うと?

「そうや、あんたは女なんやから結婚も出来るわ、でも変な男に引っかかったらあかんよ!」

「着ぐるみ剥がされて、裸にされてほり出されるから注意せんとあかんよ」

うちの母の口癖

「みぐるみ」の事を必ず、「着ぐるみ」と言います。

まるで私、遊園地のウサギさんみたい

喫茶店を出て、二人でショッピングモールの洋服屋さんのお店に入って服を見ます。

私が服を見ていると横で私に言ってきます。

「あんたは男から今は女になったけど、いつも若い子が着るような服を選んでしまう」

「ええ歳なんやから、地味な服を着るようにしいいや!」

「今日かて短いスカートに足はタイツしか履いてないし、冬やさかい体を冷やさんように、温いズボンを履いたらええのに!」

周りにお客さんがいるし、店の店員さんにも聞こえるような大きな声で私に言ってきます。


「お母さん、そんな事、ここで言わんでもええやん、人に聞こえるし・・・」

そう私が言うと

「お母ちゃん、いっこも気にしてへんから」

「別に、人に聞かれても何とも思わへんから!」

もう~、堪忍して頂戴!って叫びかけ

そりゃあ、お母さんはいいでしょう!

でも・・・言われているのは、私なんですよ。

結局は、そのお店でいつものようにお洋服を2着も買って頂いて

「いつもありがとうね」、お母さん!

二人で電車に乗っても、横にいる他の乗客に

「この子がこんな風になってしまって・・・・」って?

私、「ニューハーフ物語」の主人公じゃあないんだからね。

母といると、まるで「弥次喜多珍道中」そのもの

でもそんな母が世界で一番尊敬して大好きな人です。

1日遅れの76歳のお誕生日、おめでとう

いつまでも長生きしてくださいね。

のん子もお母さんから頂いた大切な命、大事にしますから・・・・

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墓場でデート?

こんばんわ~、のんびりのん子です!

今日は午前中に近所の診療所に行き、お昼からは病院に点滴を受けようと準備をしている時です

ピンポーン~ と、玄関のチャイムがなります。

いつもは扉の覗き窓から覗いて確認するのですが、午前中は宅配のお兄ちゃんが来ていたし、確認せずにそのまま扉を開けると?

そこには、私の母が立っています。

「お母さん!」ちょっとびっくりしました。

私のお母様、

「あんた、昨日電話してくれたやろ!墓参りに行ってるの?って」

「あんた、墓参りに行きたいと思て、お母ちゃん一緒に行くつもりで来たんやねん!」

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いっつもこんな調子なんですよ。

私の都合とか全くこのお母さんにかかれば関係なしです。

たまに電話がかかってきても、「今、あんたの駅まできてんねん、今すぐ駅までおいで」

私、慌てて駅まで行くと、途中で電話がかかってきて

「あんた、自転車でおいでや、帰りにスーパーに寄って買い物するから」

「おかあ~さん、それやったら出る前に自転車でおいでって、行ってよ~」

そういうと、

「そうか、そうか、もうちょっと早うに言うたらよかったな」

母の訪問はいつもゲリラ攻撃です。

ダイレーションの途中で来る時もありますし、そんな時でも

「ええよ、それやっとき!きっちりとしとかなあかんよ!」って

お母さんを部屋に上がってもらっても、私はベッドに戻って改めて、ダイレーターを膣に入れなおしてダイレーションの続きをします。

それを、うちの母さんたら、横で見ながら話を続けるのです。

「それ、痛いんか?」とか

私もそれに答えます。

「最近はあんまり痛くなくなったよ、すっと入るし・・・・」

なんちゅう答えなんだよ!

親が親なら娘も娘だわ・・・・・・

今日は、家に上がるなり、母の携帯電話を取り出します。

1ケ月ほど前に携帯電話を新しいのに交換したそうです。

私の弟が両親と同居しているのですが、2年に一度、両親と弟の携帯電話を新しい機種に交換するそうです。

その度に電話番号が変わってしまいます。

そして電話が繋がらないので、自宅の固定電話に掛けて電話番号の確認をしたり。

母もこの新しい携帯電話の使い方が分からず、1ケ月の間、着信専用に使い方。

使い方を教えてあげて、ついでに母にすれば孫になる東京に嫁いだ私の娘に電話を掛けます。

電話の使い方を教えてあげただけのつもりだったのに・・・・・

娘と、1時間以上も話をするのですよ!

私、時計を指差して、時間が長いから、そろそろ切るように促します。

やっと電話を切り、母とお墓参りに行くことに。

母に、「新しい服も欲しいんやけどお金もないし・・・

そういうと、「うん、それがええそれがええ、別に新しい服、買わんでもあるやつ着たらええねん!」

「お母さん、このパンツも10年前に買うたやつやねん」

そういうと、「うん、それが賢いねん!」

私、別に母に誉めてもらおうと言った訳じゃあないし・・・・・

こりゃあ駄目だわ~、私の匂わせている意味が理解しくれへん。

それにしても私の言ってること

「10年前に買った?」

これって、10年前から女装していたって事だもんね!

よくもまあ、しゃあしゃあと言うもんです。

今日は、どぎついマニキュアをつけていたのですが、小言もなくぎりぎりセーフでした。

二人で手を繋いで地下鉄に乗り、お墓のある場所まで歩いて行きます。

途中で女子校生の下校の集団とすれ違います。

「短いスカートはいてるね」

「最近の高校生って制服に憧れて高校を決めたりするねんてぇ~」と私が母にいいます。

私もあんな格好で通学したかったです。

私の通った商業学校は、森英恵がデザインした制服で当時は、この制服に憧れて入学した女の子が結構いたのです。

いまでこそ、制服にブレザーを採用している高校が多くありますが、今から40年以上も前は、中学校の制服の定番である「セーラー服」と同じ制服の高校が多かったのです。

白のブラウスに緑の細いリボンを結んだりして

お墓参りでは母はいつも、ご先祖様に、「今日も、○○が来てくれたよ!」と報告してくれるのですが・・・

「お母さん、もうええ加減に、その○○、今の名前で言ってよ!」と、心ではそう叫びながら、じっと、以前の男の名前で言っているのを黙って横で聞いています。

まあ、確かにご先祖様に、「のん子が今日もお墓参りに来てくれてますよ!」って言ったって、おじいちゃんやおばあちゃん・・・・

「そんな名前のもん、わしゃ、知らんけど?」と言われちゃいます。

ましてや、私の男の時の名前って、このお墓に入っているおじいちゃんが付けて下さったお名前

その名前を変えてしまったとなると、きっと、おじいちゃん、怒り出すに違いないです!

これこそ本当の、「知らぬが仏」

そんな、母との会話、今は一番楽しいひと時です。

そして、最近母に注意される事があります。

「へんな男に捕まったらあかんよ」

「声を掛けられても絶対について行ったらあかんから!」

母にすれば小さい頃から私の事を見ているから、私の性格が分かるんですね。

女の感は鋭し!

私も油断出来ないわ。

帰りは、ナンバによって二人で、甘党のお店に入り私は、プリンパフェ、母は、抹茶パフェを食べて二人で女子校生してました。

ただ一つ困った事があるのです?

私と一緒にお店に入った時とか、他の人とお話する時に・・・・・・・

「この子、こんなになってしもうて・・・・」

聞いている人

???です!

どうなったんやろ?って顔をしかめています。

心の中では、「なんでそんな事、言うのん!」って叫んでいます。

まあ、それでも母の気持ちがすっきりするならと黙って聞いています。

前にも一度、母から「一緒に食事しよう」と電話がかかって来て、慌ててスカートを吐いて自転車で近所の「かごの屋」に行くと、駐車場にいるガードマンに

「息子の自転車、置かしたってや~」

ガードマンさん、「息子???スカート穿いてるやん・・・・・」

不思議な顔で返事も忘れています。

私も世間を惑わしているけど、お母さんほ方がもっとひどいやん!

それと、本人が他人にどのようなカルチャーショックを与えているか全く自覚のないのがすごいです。

それでも、やはり母といると心が休まります。

母は、父の待つ家にバスに乗って、私は歩いて家まで。

明日も楽しい1日でありますよう~に!

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今日は母とお墓参りに行きました

こんにちわ~、のんびりのん子です!

久々にたくさん歩きました。

母とナンバで別れて、私は、歩いて家まで帰ってきました。

ちょっと疲れましたが、とっても充実感のある1日です。

今朝は、一度6時過ぎに起きたのですが、トイレに行って、もう一度ベッドに。

今度起きたのは、お昼の12時近くです。

松平健の「暴れん坊将軍」の再放送を見ながら、メールを頂いた方に返信するためにパソコンを打っていると母からの電話です。

母、いつものように、「元気か~!今日お墓参りに行くんやけど、どうする?」

私、「もちろん行くよ!、でも今起きたところで用意せなあかんし・・・・」

母、「お母ちゃんも今バス停で待っているところやから後30分くらいかかる」

そして、「来る時、スカートはかんと、ズボンでおいでや、それと化粧もあんまり濃くせんと!今日は、沢山の人が来ているから・・・」

いつもだったら、「なんでそんなに言うのん!」と反発したりするのですが、最近はあまり気になりません。

白のパンツに7分袖のシャツを来てお化粧も出来るだけ薄くして家を出ます。

母と駅で待ち合わせして、一度天王寺に出てお花を買います。

天王寺のお花屋さんの方が少し手間がかかりますが同じ値段でもすごく豪華なんです。

母は大阪市の敬老優待の定期を持っているので、地下鉄とバスは無料です。

私は天王寺の改札の近くで待っていて、母だけが改札口を出て、お花を買いに行きます。

その後、お墓のある、「夕陽丘四天王寺前」まで地下鉄に乗ります。

お墓は、この駅で降りてから歩いて10分足らずの場所。

お墓につくと、自動販売機でお供えのお茶を買うのですが今日は多くの方が来られているのか、お茶は既に売り切れ。

仕方なく、お水を買ってお供えに。

お墓参りの前に、休憩所で一休みします。

うちの母

「あんたは、そのズボン姿が一番よく似合うわ!」

「そのシャツも可愛い柄でええわ、そんな服やったら、500円くらいで売ってるし・・・・」

私、「500円では無いわ~、これでも2000円以上したんやから!」

母、「そうか、でも今は安うなってるからなあ~」

「化粧もあんまり濃くしたらあかんよ、あんたは素顔が一番自然やから!化粧したら顔がきつくなるから」

と、言います。

私も、「お母さん、私、ここ3~4年、お化粧品、全然買ってないねんよ!」

「1本4000円からするような口紅なんか到底買われへんし、買うても500円くらいのやし・・・・」

「お化粧も一応、身だしなみ程度にするだけやし・・・」

こんな話も自然と母と出来るようになった今は、とっても幸せです。

私のブログは、毎日が楽しく又面白おかしく書かれていますが、その裏には辛い事や苦しい事が沢山あります。

でもそんな事を言っても、落ち込むだけだし、やっぱり前向きの姿勢でいないと!と自分自信を励ますのです。

これからも女として、色んな試練が待ちうけていると思います。

でも、ほんのひと時の時間でも母と娘の会話が出来るのを楽しみにして毎日を過ごしています。

時間は戻る事は出来ないけれど、今の時間が止まってくれればいいのに・・・と

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今日からぼちぼちと!

おはようございま~す!

と、ちょっぴりハイテンションです。

朝の8時半に洗濯機を廻して、すぐにダイレーションを始めたので、洗濯終了のブザーが鳴ってもそのままの状態です。

洗濯物が沢山あるのでブログを書いた後、すぐに干して、またもや次の洗濯物。

部屋も散らかったままだし、狭い部屋にはコタツが出したまま。

コタツも分解して狭い10畳の1Kのマンションの何処に直すか?

これも思案のしどころです。

離婚する前は、広い一戸建ての家に住んでいたので、何でもかんでも30畳からある屋根裏部屋の倉庫(陸屋根の一部を倉庫に作っていました)に直していたので、使わないものでも直してしまう性格でした。

24畳のリビングには大きなコタツ兼用の座卓と食卓テーブルは、年中出したままの状態。

それに、ふかふかのソファー

ソファーに座って、今では当たり前の、42型のハイビジョンテレビでくつろぐひと時はなんて贅沢な環境だった事か!



この10畳の部屋で如何に快適な生活環境を作りだすか?

とにかくこれ以上「物」を増やす事は出来ません!

といって、まずはそんなものを買うお金もないし・・・・・

世間ではエコ減税とか色々と騒がれていますが、入居時に不動屋さんから頂いた14型のアナログテレビで満足しているし、エアコンも新品が入居に交換されていたから買い換える必要なんてありません。

ただ、最近気になったのが、ダイレーションの時や、夜、寝る時の掛けふとん。

このフェザーの掛け布団、これからの時期、やはり、暑いし、少し重いです。



夏用の掛け布団を買えば良いのですが、又荷物が増えて直す場所に困ってしまいます。

というか・・・たとえ、4~5千円でももったいないです。

ちょっとさぼり気味だったのですが、ぼちぼちと趣味の洋裁を始めていこうか思いました。

以前、医療用の生地(看護婦さんの着ている服を作る生地)を1短(50メートル)買っているので、これで、冬に使っていた毛布のカバーを作れば、夏用の掛け布団になるかな?と思っています。

ついでに、低反発ベッドカバーも作れば、肌さわりも良くて快適な睡眠をえれるかな?って

まずは、洗濯とお掃除!っと

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そのためには

年金分与手続きに行きます

別れた妻と社会保険事務所で待ち合わせをして、私の受け取る年金の半額を元妻に支払うための手続きに行ってきます。

結婚して30年、ずっと自分の性別に疑問を持ち続け、「結婚すれば、この癖、治るかな?」と思い、結婚したけれど、やはり、この「人に言えない癖」は治らなかった。

そういった悶々とした日々を過ごす結婚生活。

7年ほど前、「性同一性障害」という事をネットで初めて知った。

二人の子供もすでに二十歳を過ぎている。
辛かった二十数年間

その時に決心しました。

「もう、この辺で許して・・・・これからは自分らしく生きて生きたい」

そういって、女になるためにいろんな情報を探し、女性ホルモンを始めた。
そして、ジェンダー・クリニックに通い、GIDの診断を受ける。


7年前に妻と一緒に、岡山大学病院に行った。
妻は、私が性同一性障害でない事を祈る。
しかし、妻の希望を裏切って、私は自分の望む性へとどんどんと変化していく。

妻には、そんな私を許せなかった。
その時から離婚の話が出ており、一度は離婚届を書いて提出するところまでに。

なんとか修復できないかと、お互いに話し合うこともしばしば。
でも最後にはいつでも妻は、発狂状態になる。

しれから5年経った去年の秋、ついに二人はこの世界につきものの、「離婚」という結果に。

妻には、「一人の人間の一生を不幸にしてしまった」と申し訳なく思っています。

そして二人の子供にも・・・・

妻や子供達に、これ以上迷惑を掛けないようにする為の手段として考え付いた離婚。

一人の人間として、今でも妻が大好きです、男や女としてじゃなく・・・

手術して、戸籍も女に変更すると、もう二度と復縁なんか出来ない。

そう考えると、「同姓婚もいいんじゃないの?」なんて考えたりもする。

今日の年金分割の手続きを終えると、二人の関係は全て終わる。

そんな感じがして、心に冷たい風が流れ込んでくる。

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プロフィール

のんびりのん子

Author:のんびりのん子
やっと、女になれました。
いい女になるのだから・・・・・・

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