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初めてのユーチューブ

こんちにわ!のんびりのん子です。

以前にもお話ししたことがあるかと思うんですが、今の趣味は洋裁です。

MTFの大半の方って、女性よりも背丈や体格が良いので服選びにとっても苦労しますよね。

何といって肩幅や腕の長さが違います。

胸囲も大きいし!!!

各言う私も、ユニクロなどで服を買う場合は大抵、XLサイズです。

トップスはXLでも、逆にボトムはお尻が小さいのでⅯサイズになってしまう。

困ったもんです・・・

そのため、若い頃から針と糸を持ってチマチマとお直ししていました。

そして10数年前に一念発起してミシンを購入し、その世界にはまってしまいました。

挙句のはてにはロックミシンまで購入する始末です。

当時、図書館で色々な洋裁の本を借りてきては読み漁り独学で洋裁に関する知識と技術を学ぼうとしました。

縁があって、数年前に職業訓練で洋服のリフォームの学校に半年ほど通い、一応「お金のもらえる」技術を得ることが出来ました。

家庭用ミシンだと縫い目が汚いのと縫製能力が低いので新たに職業用ミシンを購入して(学校で工業用ミシンを使っているために、慣れるために直線専用ミシンが欲しかったのも購入の原因です)ストレスのないミシン生活を送っています。

さらに、ロックミシンも新たに購入し、挙句の果てには裾上げ専用の「ルイスミシン」も揃える無茶ぶりです。

確かに、裾上げの際の「まつり縫い」

手でチマチマとする方が、丈夫に出来るのですが、何といっても時間がかかりすぎるんです。

和裁士さんのように手縫いの技術の有るかたなら、それこそ早く仕上げることができるのですが私なんて時間のかかるかかる・・・

ボタンホールも手縫いで仕上げるなんて1個所で10分近く掛かってしまったりしています。

そんな時は、文明の利器です、

そう、ミシンで一発仕上げです。

そこそこ良いミシンだとボタンホールも専用機まで及びませんが既製品レベルに近い状態で仕上げることが出来ます。

何といっても時間が早いですね。

1個所、数十秒で出来てしまいます。

よく母から洋服のリフォームを頼まれます。

母が3~40年前に穿いていたスカートをワンピースやジャンパースカートにリフォームするのです。

場合によってはプリーツスカートの縫い目をほどいて(解くだけで5時間以上も掛かるときがあります)、生地が足りないと継ぎ足して・・・

お母さん 「これは、丈をこのくらいにして頂戴!」

       「今度は、袖丈はこの辺にして!」

       「首の形はこの辺まで狭くして頂戴!」とか

母が若い頃に、高島屋や大丸で気に入って購入したお気に入りの服や仕立ててもらった服をもう一度、形を変えて喜んで着てもらえるなら、趣味と実績で通ったリフォームの技術が生かせる!と私自身が喜んでいる次第です。

そこでタイトルに戻って

亡くなった大切な方の忘れ形見で飼い犬(パピヨン、7歳)を私が引き続いて飼っています。

以前から、この愛犬の服を作ったりしていたのですが、市販の服の形では物足りないし

折角作るのだから!!!と
人間の服を作るとの同じようにきちんと採寸して愛犬にピッタリの服を何着と作りました。

私、大阪の人間ですから服の柄と言えば?

やはり、トラや豹、シマウマ・キリンなどの猛獣のような柄が定番のように

わんちゃんにもこの柄の生地で沢山作ってあげています。

挙句の果てには、マスクまで作ったりして。

ついに昨日、その動画をユーチューブに投稿してみました。

関西では毎年3月頃に、「日本橋ストリートフェスタ」というコスプレの方が「電気の町日本橋」の堺筋を通行止めをして皆さんが集まって写真と撮るという一大イベントがあるのです。

昨年のこのイベントに私のワンちゃんも初デビューさせて頂きました。

その時の記念にちょっとだけ録画しましたのでご紹介させて頂きます。

キリン柄の服を着た犬と仮面ライダー



動画の編集の仕方なんて全くわからないんです!
一度、スマホに撮った画像をそのままの状態でユーチューブにアップロードして再度開いてみるとなんか編集画面みたいになってしまって・・・

音楽なども後から入れれるようでユーチューブで使える無料の音楽があったので編集しなおすと新しく別の名前で(コピーと付加)残されていました。

最近よくユーチューブの動画を拝見しているのですが、皆さん動画編集、すごく上手ですね。

今では小学校でもパソコンの授業があるんですか?

私らの年代では考えられないことです。

図書館で動画の編集の本を借りてきて私も「60過ぎの手習い」で勉強しようと思います。

スマホも昨年やっと購入しました。

そして初めてスマホで撮影した動画がこの動画です。

これからボチボチと動画も撮って行こうかと考えています。

思い出、少しづつですが、増やして行きます。

それでは又ね・・・

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安否連絡・近況報告です!

皆さん、誠にお久ぶりでございます。
のんびりのん子です!
って、こんなに長くブログを書いていないと自分の名前さえ忘れてしまいます。
誕生日も忘れたり!(それって、単に老化が始ったんだろ・・・て、突っ込まれそう)

あれから2年経ってしまいました。
振り返ってみるとアッという間の時間ですがそれでも半年以上の間は毎日泣いていました。
悔しくてたまらなかったです。

今は・・・ダラダラとした毎日を過ごしています。

亡くなった日が11日と父の命日が12日と続くので毎月の12日には父のお墓参りに行くのが唯一の日課になっています。

その帰りには、母の水子さんを祭っている四天王寺さんにお参りして帰ります。
水子地蔵の隣には子授け地蔵があります。

東京に嫁に行った娘が結婚して早、8年も経つのですがなかなか子供を授かることが出来ないのでそこでもお願いしています。

歳を取るとお墓参りとか寺院・仏閣に関心がついつい高くなってしまうんだな!って実感しています。

それって、自分がそちらの世界に近ずいているのをうすうす感じるからなのでしょうか?

とまあ、暗い話はこの辺に置いといて!!!

まずは年金の話です

年金の受給年齢は現在65歳ですが年齢により経過措置があって60歳から受給資格が生まれるのです。

但しこの受給年齢(厚生年金)は男女の性別により違っているのです。
私の年齢の場合、男性は62歳から、女性の場合は60才から本来65歳から受給する額の半額の金額を受けてることが出来るのです。

本来なら私が受給できるのは満62歳の誕生日からです。
しかし、性別を女性に変更しているのですが、あくまでも受給開始年齢は62歳からと思って年金の請求をせずに置いていました。

毎年送ってくる「ねんきん定期便」に、以前は年金受け取り額の概算額が記載してあったのですが、性別変更してからは金額欄が「********・・・・*」の様に記載されていないのです。

こういった感じで8年ほどずっとこんな感じ出来ていました。

女性なら60歳になる前に受給資格の到達の通知と請求関係の書類が送られてきます。

しかし、私には全くそのような書類が来ないので、当然私は62歳からだと思っていました。

しかしながら、いつまでも年金の概算額が記載されていないので年金事務所に行き尋ねることにしました。

そこで発覚したこと!!!

私の年金の性別は女性になっているのですが・・・

一時期、性別変更した方の年金番号は2つになり新しい番号は一目で性別変更したことが判別できる番号になっていて問題になったとか・・・

私が性別変更した時はまだそのように年金番号が変わるような事はありませんでした。

ただ、その前に離婚したために、年金分割の手続きをしていました。

当時の予想外のことかどうか分かりませんが???

離婚した時に夫の年金の半額を妻に支給するのに・・・
その夫の性別が女性に変わっている。
ということは、女性が妻の女性に年金の分割をしている???とつじつまが合わない事態になっている!!!

当時の事情はハッキリと分からないのですが、どうもコンピューターの連動が出来ていなかったようなのです。

それが原因で私の年金受給の概算額が表示されなかったし、60歳の受給開始時に請求関係の書類が届かなかったみたいなのです。

東京の本部のコンピューターにはきちんと変更手続きがされていなかった!!!

それを聞いて、メッチャ、腹が立ちましたよ。

以前問題になった年金番号が2つになる件!!!

また、復活してきました。

結局な、当初に頂いた性別変更済みの年金番号は今後もそのまま使用して

年金分割に使用される年金番号が新しく作成されその性別が男性になっているそうです。

その手続きのために改めて戸籍謄本を提出して性別変更の書類を書かされて・・・

それって、8年以上も前に手続きが済んでいるやん!!!

もう、怒りの頂点てす。

私にしてみれば、もうこの件については関わりたくないと思っていることです。

そのあと、年金の概算受給額を計算してもらい、年金事務所の方に確認してもらうと60歳から受給開始になっているそうです。

昨年の12月、なんとか無事に年金を受給することが出来ました。

約1年半分の年金です。

毎偶数月の15日に2か月分支給されます。

年金なんてもらえるかどうか充てにならない!!!
って、若い頃に思っていたのに、いつの間にか年金をもらう歳になってしまいました。

若い方々、「年金なんてもらえるかどうかわからない」と思っている方も沢山おられると思いますが本当にあっという間ですよ。

こんな私でさえも40年以上も前に年金を強制的に天引きされた時、皆さんと同じように思っていました。

歴史は繰り返すならぬ、「年金は繰り返す」ですよね!

とりあえずは、これまで・・・

次回、「ユーチューブ・デビュー」

思い出が多すぎて!

こんばんわ、のんびりのん子です!
毎日、泣いています・・・・

実は、私の大切な人が亡くなったのです・・・・・・・

この文字を打っただけで又涙がボロボロと、、、、、、、

昨年の11月11日、死亡病名は「肺炎」

死亡診断書にはこのように書かれていますが、いわゆる「誤嚥肺炎」

入院したのは同年の9月25日

当日は定期の外来診察日で、1ケ月ほど前から便があまりでなくて、常に胃が張った状態。
食事もあまり取れなくて、無理に食べてもほとんど戻してしまう状態が続いていたので、いつもなら介護ヘルパーさんが病院に連れて行ってもらっているのをその日は私がついてきて欲しいとのことで一緒に行くことに。

旦那様は耳が遠いので先生の言っていることが理解しにくいのです。

先生の診察が始まるなり、「すぐに入院するように」とのことで直ちに入院。

病名は「腸閉塞」

きちんと食事が取れない状態が続いたので栄養状態も非常に悪くなっていました。

私が食事を作っても、一口食べると、「もう、入らへん!」と言って食べなかったのです。

実は、数か月前の5月にヘルニア、いわゆる「脱腸」になり手術をして2週間ほど入院したのです。

退院して抜糸をしてからも手術の跡の部分が痛い、痛いと言っていたんです。

手術をしたのは、病院の院長。
私が院長にその旨を言ったのですが、手術後の経過は順調だとのこと。

そういった日々が続いての10月25日の入院。

入院する数日前によく言っていた言葉が、「お腹いっぱい食べたい!」とか

「ラーメン、大盛りで!!!」と冗談を言ってたりして・・・

入院するなり、まずは栄養状態をよくするために、点滴をするも追いつかないために、中心中心静脈栄養でハイカロリーの点滴や血液製剤を入れて行きます。

5~6年前から、「脊柱管狭窄症」で介護認定を受けていました。

若いころに胃潰瘍で胃も半分以上切除しており、私が知り合う数か月前には股関節に人口関節の手術を受けていました。

人工関節の手術後のリハビリもきちんとできていないようで、歩くのがとてもつらいようでした。

そういった事もあって、どこへ行くのも一緒の二人でした。



親不孝者の私、離婚して家を飛び出しているために、実家からも絶縁状態の為、父の死を知ったのも、死んでから2年もたってからの事、

父は三男のため生前に自分の墓を建てていたのですが、その墓参りにも旦那さんが一緒に行ってくれていました。

事あるたびに、「墓参り行こうか!!!」と言って二人で自転車に乗って一緒に行ってくれました。

ある日の事、いつものようにお墓をきれいにしようと、お水を掛けて墓石を拭こうと後ろを見ると?

赤く書いてある建立者である父の名前が白に変わっている。

こわごわ横を見るとそこには、父の名前が・・・・

もうその時は驚きと悲しみがこみ上げて来ましたが、涙は出ませんでした。

「私って、本当に親不孝もの!」
「父の死に目にも会えなかった」

って、母も、兄弟もそのことは一切教えてもらえなかった。
でも、一切恨んだりしていませんでした。

そう言えば、父が亡くなった数日後にある用事があって、別れた妻に電話を入れたことがあったのですがその時に
元妻が「大変なことがあったんよ!、まあ、あんたには関係ないけど・・・」って言っていた意味がその時に理解することができました。

後で母に聞いた話ですが、父が脳溢血で10か月ほど意識不明で入院して、その間ずっと、元妻や東京に嫁いだ娘や息子が何度も見舞いに来てくれたそうです。

息子は作業療法士なので、見舞いに行くたびに1時間ほど父にマッサージをしてあげたそうです。

父の死を知ってから、すぐさま亡き父を祀る為に仏具を買ってきました。

旦那様は毎日、お花の水変えや、夏なら3~4日毎に新しいお花を買ってきて祀ってくれるのです。

そんな心優しい旦那様を亡き父にしてあげられなかった親孝行のつもりで、父のように旦那様を慕っていました。

大事な、大事な旦那様が入院して・・・・

それまでにも一緒になってから何度も入院していました。
夜中に救急車で運ばれたことも何度と。

そのたびに、「今度入院したら最後やで!」と冗談を言っていた私。
それが、現実となってしまうなんて。


栄養状態が悪いので、手術も出来ず、
というか、特に手術をしなくても、鼻からカテーテルを入れて胃・腸から内圧で内容物を排出させると、腸内の圧力が下がって閉塞した部分が改善されるそうなんです。

なかなか下がらないので、おしりから大腸まで管を通して圧を下げることも何度としました。

しかしこれをするたびに、40度からの高熱を発し、体中震えをお越し、強烈な腰の痛みを発するのです。

その都度、電気毛布で体を温め、1時間程、腰の部分をマッサージしてあげるんです。

「痛いなあ、痛いなあ・・・辛抱しててな!もうちょっとしたら楽になるからな・・・」そう言いながら。

鼻からカテーテルを通している為入院してから一切食事を摂っていません。

入院してから1か月を過ぎた11月の始め

やっと、カテーテルも取れることが出来、先生からは「おかゆ」から食べれるとのこと。

カテーテルが取れたその夜、入院してから初めての食事

私は、「やっと取れたなあ、長かったけど良かったわ」

「あと1週間ほど様子を見て退院できね」と言って喜んでいました。

その時は、そう信じて、楽観視していました・・・・

でも、おかゆを食べても全部戻してしまう始末

腸閉塞の状態は良くなっていない気配。

カテーテルを外してからは、何度となく吐いています。

先生がもう一度カテーテルを入れたいというのですが、胃を切除しているために、内視鏡カメラを入れながら胃の内部を見ながらでないとカテーテルが入れないし、そのために30分以上もかかるのがつらいために本人は拒否をします。

最後には、胃までのカテーテルを入れたのですが、それでも、内圧が下がらずに、何度となく吐いてしまいます。

きっとその時に吐いたのが肺に入ってしまって誤飲肺炎を起こしてしまったのだと私は思っています。

11月8日の午前2時ごろ、旦那さんから突然電話がありました。

「何してんねん!はようきてんか、今日は遅いやんか!」と

私は、「何言うてんの、今何時やと思てるの!夜中の2時やで、明日早よいくから待っていて」

電話をもらったこともあり朝の7時ごろに病院に行き、警備員さんに扉を開けてもらい病室に行きます。

病室に行くと、旦那さんがとても苦しそうにしています。

頭を触って見るとすごく熱い気がする。
呼吸もとても速い。

すぐに看護婦を呼んで、医師も来てもらい、とりあえず鼻から酸素を送ることに。

翌日の9日になっても一向に良くならない。

先生からは、「人工呼吸器を入れたいのですが・・・」というが、本人もそれを拒否するし私も・・・

とりあえずをは返事をしなくてその日が過ぎ、翌日病室に行くと、旦那さんが私の顔を見てまるで「バイバイ」をするように手を振るのです。

翌日の10日もお昼に見舞いに行き、「また夕方来るわ!」と言って家に帰るなり主治医から電話があり、人工呼吸器をつけないと危険な状態とのこと。

電話で、「入れてあげて下さい」と言って電話を切るなり病院へ自転車で走っていきます。

病院へ着くと、すでに人工呼吸器が取り付けられており、一般病室から、ナースセンターの横の部屋に移動するとのことでベッドの移動をしようとしています。

私は、荷物を片づけて、しばら様子を見ていた後、不要な荷物を家に持って帰ります。

翌11日、早朝と昼前の2回、様子を見に病室へ行きます。

今でも忘れない・・・・

昼前に行ったとき、旦那様の目からは涙が・・・

そしてお昼の1時過ぎに一旦自宅に帰ると突然病院から電話が!
「直ぐに、来てください」

先生からは、「電話を入れた時には、もう・・・」

そして改めて、時計を見て

「午後1時59分、死亡確認、お亡くなりになりました・・・」


「嘘やん、元気になって、家に帰れると思とったんやん!!!」



あれから、もう4か月も経とうとしますが、病院での出来事、そしてたった3年3ヶ月の短い間だったけれども旦那様と暮らした日々の事がまるで昨日のことのように思い出して仕方がありません。

もっと優しくしてあげれば良かった・・・と後悔する思いで涙が出てしまう日々が続いています。

「死」というのをあまり感じなかったのですがこれ以降すごく感じてしまうのです。

そして思う、私も遠くない日に・・・・・

私が一番後悔することは、「死ぬ前に、お腹一杯、好きなものを食べさせてあげたかったって事」

私の愛する旦那様、

「阿弥陀さんに可愛がってもらいや・・・」

合掌





お久しぶりでございます!

こんばんわ~、のんびりのん子です。
こんな書き出し、本当に久しぶりです。
自分のブログなんて普段は滅多にに見るもんじゃないし・・・って、更新しないから!

前回の更新からまる1年以上も経ってしまっています。
自分でもこの1年、何をしていたんだろう?なんて思ったりしてしまいます。

最近、母からの頼み事が結構多くあってそれがすごく楽しみなのです。

その頼み事とは、母が昔着ていたスカートやブラウスをリフォームやリメイクすることなんです。

たまたま、暇だったので余った生地でジャンパースカートを作って母にあげたのです。

母はもう80を優に超えています。

人間、歳をとると指の動作が不憫になりボタンがけなども不自由になったりします。
介護服もそうであるように、ボタンの部分をファスナーにしたりホックにしたり、マジックテープで簡単に取り外せるように工夫したりしています。

普通、ワンピースやジャンパースカートなどは、デザインを重視するために後ろ側にファスナーが取り付けられています。
これが歳を行くと後ろに手を回して・・・・って、すごく大変なんです。

それで前開きのファスナーにし、歳を取るにつれて腰が曲がり、服の後ろ側のが裾が上がってしまう分を補正した服を3月頃に母にあげると???

もうすごく気に入ってもらえてどこへ行くのにも着ていくし、部屋着としても毎日きているぐらいです。

終いには昔作った古いスカートをジャンパースカートに直して欲しいとか、昔のブラウスは今とはデザインが違い着れないので少しデザインを変えて今風にしてほしいとか・・

もう10着以上のリメイクをしました。

母も喜んでいるし、何よりも私自身の技術向上に繋がるのでうれしいしだいです。

いつもリフォームする時は、余った生地でお揃いのバッグを作るのです。

これもとても気に入ってもらえ母と食事に行く時なんて、いつもお揃いのバックを手押し車に掛けてこのジャンパースカートを着てきます。

何といっても、母の体型に合わせて作っていますからとってもスマートに見えるのですよ。

私が見てもとっても上品な「おばあ様!」って感じ。

それとおしゃれですからこの時期は必ず、日傘を差しています。

いつも余りものの生地やスカートなどをリメイクしていたのですが、

「そうそう、お母さん、いつもお洒落に日傘を差してるから、今度はジャンパースカートをお揃いの日傘も作ってあげよう!」と思い、生地や材料を見に行くために、大丸にある「ユザワヤ」と難波にある「トラヤ」さんへ。

難波にある「トラヤ」はハギレで有名ですが、1階は一般の生地や店の前にはハギレ生地を並べていますが、2階は高級生地やカーテン生地、そして3階は洋裁用品の売り場になっています。

高級生地を置いてある2階には購入した生地で仕立てて頂けるのです。
母はずっとここで洋服を仕立ててもらっていました。

ここで仕立ててもらったスカートをジャンパースカートにリメイクするのにほどいてみると???

もうびっくりです!!!

なんと丁寧な仕事をしていることか・・・と

私も自分で既製服をリフォームやサイズ直しをしたりしています。

スカートの裾なんてルイスミシン(まつり縫いミシン)でものの1分もかからない程の時間で裾上げが出来てしまいます。
(一応、私も中古のルイスミシンを購入して使っていますが)

このお店の裾の仕上げ、手で丁寧にまつってあったのです。

私も薄い生地の場合は面倒でも手で一目づつすくってまつるのですがすごく時間がかかってしまいます。
下手ですからスカートみたいに全長が2メートルを超えるような長さだとゆうに1時間以上もかかってしまいます。

最近の既製服といえば中国や東南アジアで作られたワンシーズで捨てるような安価な服が良く売れる時代。
こんな服をリフォームやリメイクなんて、買った服の金額の何倍も費用がかかる事をする方なんかごくわずかな人でしょうね。

ところがここで仕立ててもらった服はとても丁寧な仕事。
このまつり縫いの縫目はまるで機械ででも縫ったみたいに正確なステッチ幅で。
きっと熟練した職人さんが縫ってくれたんだろうと感心しました。

「これぞ、メイドイン・ジャパン!」てとこでしょうかね。


買ってきた生地でジャンパースカートを作るのはいつもの事なので難なく完成なのですが、手作り日傘

初めての制作で出来たものの、いざ、傘を開いてみるとどうも張りが今一つ!!!

光と熱対策のために、ジャンパースカートと同じ生地に光対策の為、黒系統の裏地を張り合わせてのでが・・・

これがうまく行かなかったみたいで出来たもののどうも納得が行かないんです。
それで、またも生地屋さんに行って、傘の分の生地を買にいくはめに。

今度は型紙も念入りに起こし直し、なんとか完成。

「80過ぎたお婆ちゃんが、ワンピースとお揃いの日傘を差した姿、可愛いんだろうなあ!」なんて想像しています。

大丸にある「ユザワヤ」が明日まで2割引きのセールをしているので、紫外線防止用のUVカットスプレーを買いに行き出来た日傘に吹き付けようと予定しています。

先ほど母に連絡入れると、明日と明後日は予定があるということで、プレゼントは火曜日に。

ということで一先ずは近況報告ということで・・・

毎日、ミシン、バリバリと踏んでいます。



職業用ミシンは車と同じ?

こんにちわ~、のんびりのん子です!

機嫌よくでもないですが、洋裁関係の学校に通っています。

そろそろ2か月になるのですが、いまだに職業ミシンに慣れません。

毎日同じミシンならばその癖もある程度慣れるのですが、今日はJUKIのミシン、昨日はMITUBISI、一昨日はブラザーと。

それに自動糸切り機能が壊れていたり、素人が使うものだから、もうぐちゃぐちゃの状態。

ミシンには、大きく分けて3種類あります。

家庭でよく使われる家庭用ミシン、そして、余分な縫い目を省いて直線縫いのみの職業用ミシン。

職業用ミシンといっても、仕事に使うというミシンではありません。

一言でいえば、この直線専用ミシンの事をさします。

そして私が今学校で使っている工業用ミシン。

何が違うの?ていうと・・・

大きくは、3っつかな?

一つはスピード

昔、ミシンは足ふみ式と言って足で踏んで回転させて針を動かしていました。

ところが現在は電気モーターで動かしています。

その回転数が家庭用の場合、最高700回転ほど、職業用ミシンは最高1500回転で家庭用の2倍以上。

そして工業用ミシンはなんと5000回転、いずれも1分間にです。

ということは、工業用ミシンは1分間に5000回転すなわち5000針縫うことになり、1針で1ミリ縫うとすると5000ミリすなわち5メートル、1時間にすると300m、
これを1針7ミリにすると1時間に2100メートル、2キロも縫い進むことになります。

モーターの回転は自動車のアクセルのように足ふみのペダルがあって、深く踏むとモーターの回転が速くなるのですが・・・・

これが曲者で、昔の古い自動車と一緒でミシンごとに癖があるのです。

それと、これも自動車と一緒でオートマチック、すなわちサーボ制御でペダルの踏む深さで速度が変わるのと、ミッション式のクラッチで動力を制御する方式の2通り。

ミシンにはモーターの回転をミシンの機械部に伝達する1速しかありませんが、クラッチが完全に繋がれると、モーターの最高速度で針が動き出します。

クラッチモーター式のミシンの場合の速度調整はこの半クラッチの状態をいかに上手に使いこなすか!!!

縫製工場に働くプロの方々はこのクラッチモーター式の工業ミシン(その製品を縫製するのに特別に改造したものが多い)をバリバリと使いこなしているそうです。

このペダルにしろ、機械ごとに「遊び」が違うし、踏み込みの角度もバラバラ。

ミシンが動き出して、ちょっと踏むとクラッチが繋がるなんてもう大変です。

生地の運びも慣れないものですから、工業用ロックミシンなんて、メスロックが出来なく、常に生地えお切るメスが動いていて、あっというまに大切な部分も切ってしまったり・・・・

それから比べると家庭用は遊園地の子供の乗り物みたいな速度と使いやすさ!!!

なんて思うようになったなのは、少しでも上達したのかな?

今は、シーチング後ろベンツ付のタイトスカートの制作です。

後はベルトを付ければ完成。

あと一息、頑張ります。

老化防止にも役立ちま~す。
プロフィール

のんびりのん子

Author:のんびりのん子
やっと、女になれました。
いい女になるのだから・・・・・・

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